与謝蕪村とは|句を詠み、絵を描いた人——文人画と俳諧、二つの顔

句を詠む人が、絵を描く

「菜の花や月は東に日は西に」。教科書で一度は目にしたことのある句だと思います。この句を詠んだ与謝蕪村(よさ・ぶそん)は、俳人として名を知られる一方で、国宝に指定された絵を残した画家でもあります。俳諧と絵画、その両方で第一級の仕事をした人です。

筆者は美術検定の勉強をしながら、美術史を学び直しています。そのなかで気づいたのは、自分はどうやら「一つの分野に秀でた人」よりも、複数の分野で結果を残した人に強く惹かれるということです。絵画と科学のレオナルド・ダ・ヴィンチ、密教と書の空海。そして蕪村も、まぎれもなくその系譜に連なります。この記事では、蕪村の二つの顔を、実物を観に行く前の予習としてまとめます。

与謝蕪村とは(基本情報)

  • 生没年:1716〜1784年(享保元年〜天明3年)
  • 出身:摂津国東成郡毛馬村(現在の大阪市都島区あたり)
  • 肩書き:俳人/画家(文人画・南画)
  • 画の代表作:《夜色楼台図》、《十便十宜図》(池大雅との合作)、《鳶鴉図》など
  • 句の代表作:「菜の花や月は東に日は西に」「春の海ひねもすのたりのたりかな」など

蕪村は20代で江戸に出て俳諧を学びます。師が亡くなったあとは、東国から東北をめぐる旅に出ました。この旅には、松尾芭蕉への憧れがあったと言われます。芭蕉が『おくのほそ道』でたどった土地を、自分の足で歩いてみたかったのでしょう。

40代の後半になって京都に落ち着くと、そこから画業と俳諧の両方が本格化します。晩年には俳諧の世界で中心的な存在となり、同時に画家としても数々の名品を残しました。つまり蕪村の代表作の多くは、決して若い頃の作ではなく、人生の後半に生まれています。学び直しをしている身としては、この事実にはかなり励まされます。

文人画(南画)とは——「本業ではない絵」の強さ

蕪村の絵は、「文人画(ぶんじんが)」あるいは「南画(なんが)」と呼ばれるジャンルに属します。これは中国で生まれた考え方が元になっています。

中国では古くから、絵を描いて生計を立てる職業画家とは別に、詩や書に通じた教養人が、余技として絵を描く文化がありました。技術の巧みさを競うのではなく、描き手の教養や人柄、心の内がにじみ出ることをよしとする——そういう絵です。日本では18世紀にこの考え方が広まり、池大雅(いけのたいが)と与謝蕪村の二人が、その大成者とされています。

ここで面白いのは、日本の絵画の主流だった狩野派のような流派が、工房を構え、粉本(お手本)を受け継ぎながら技を磨く「職業としての絵」だったのに対し、文人画はその対極にあることです。うまく描くこと自体が目的ではない。詩を詠む人間が絵筆を持つとどうなるか、というのが文人画の面白さで、蕪村はまさにその代表例なのです。

代表作

《夜色楼台図》——雪の降る、夜の街

国宝に指定されている、蕪村晩年の代表作です。横に長い画面いっぱいに、雪をかぶった家々の屋根が連なり、その向こうに山影が沈んでいます。空は墨で暗く沈み、そこに雪が舞う。人の姿はほとんど描かれていないのに、家々の灯りから、そこに暮らしがあることが伝わってきます。

静かで、寒くて、それでいてどこか温かい。派手な技巧を見せつける絵ではありませんが、だからこそ、観る人の記憶の中の冬の夜と重なります。

《十便十宜図》——池大雅との競演

こちらも国宝。文人画のもう一人の大成者・池大雅との合作という、美術史上でも特別な作品です。中国の詩をもとに、田舎暮らしの「十の便利さ(十便)」を大雅が、「十のよろしさ(十宜)」を蕪村が描き分けました。

同じ主題を、同時代を代表する二人が並べて描く。当然、比べて観たくなります。作風の違いがそのまま並んでいるわけで、これほど分かりやすく「画家の個性」を教えてくれる作品もそうありません。なお本作は、のちに作家の川端康成が所蔵していたことでも知られています。文学者が文人画の傑作を手元に置いていたというのは、いかにも似合った話だと思います。

俳画——句と絵が、同じ紙の上で出会う

蕪村を語るうえで外せないのが「俳画(はいが)」です。俳句に、簡潔な絵を添えたもの。省略のきいた軽やかな線で描かれ、本格的な山水画とはまったく違う表情を見せます。

俳句そのものが、余計なものを削ぎ落として十七音に凝縮する表現です。俳画の線もまた、描き込まずに省く。同じ美意識が、言葉と絵の両方で貫かれている。蕪村が芭蕉の『おくのほそ道』を書き写し、そこに絵を添えた作品も残されています。憧れの先人の文章に、自分の絵を寄り添わせる——読む人であり、描く人でもあった蕪村らしい仕事です。

「絵のような句」——蕪村の俳句が視覚的な理由

蕪村の句は、しばしば「絵画的」と評されます。冒頭に挙げた「菜の花や月は東に日は西に」は、その典型でしょう。一面の菜の花。東の空には昇る月、西の空には沈む夕日。十七音のなかに、広い風景がそのまま収まっています。

「春の海ひねもすのたりのたりかな」も同じです。一日じゅう、ゆったりと寄せては返す波。「のたりのたり」という音だけで、動きまで見えてきます。読んだ瞬間に情景が立ち上がるのは、蕪村が画家として、風景をどう切り取れば伝わるかを知り尽くしていたからでしょう。

正直に書いておくと、筆者はこれまで読書といえば近代小説が中心で、俳諧をきちんと読んできたとは言えません。それでも蕪村の句が印象に残るのは、意味を解釈する前に、まず映像が浮かぶからです。絵を描く人の句だと知って読み返すと、その理由に納得がいきます。

芭蕉を慕い、子規に再発見される

系譜をたどると、蕪村の面白さはさらに増します。蕪村は芭蕉を深く慕い、その足跡を旅し、その文章に絵を添えました。そして時代が下って明治になると、今度は正岡子規が蕪村を高く評価し、世に広く知らしめます。子規は、写生を重んじる自らの俳句観に照らして、蕪村の視覚的な句を高く買ったのです。

芭蕉がいて、それを慕った蕪村がいて、その蕪村を再発見した子規がいる。誰が誰を受け継ぎ、誰が誰を掘り起こしたのか——こうした師弟や継承の連なりを知るのは、作品そのものを観るのとはまた別の楽しみがあります。美術でも、系譜が見えてくると一気に面白くなる。蕪村は、俳諧と絵画の両方でその糸が交わる、珍しい結節点にいる人です。

美術史・美術検定での位置づけ

蕪村は、江戸時代中期の文人画(南画)を代表する画家として、池大雅と並んで押さえるべき人物です。美術検定の学習でも、「文人画・南画」「池大雅」「《十便十宜図》」はセットで覚えたいところ。江戸時代の絵画といえば、狩野派、琳派、浮世絵、そして円山応挙らの写生画などが並びますが、文人画はそのどれとも成り立ちが違います。職業ではなく教養から生まれた絵という一点を押さえておくと、位置づけがすっきり整理できます。

もうひとつ、蕪村は日本文学史でも重要人物です。美術史と文学史の両方に同じ名前が出てくる——この重なりこそが、蕪村という人の本質を表しているように思います。

実物はどこで観られる?

蕪村の作品は、紙や絹に墨と淡い色で描かれたものが中心です。この種の作品は光に弱く、傷みを防ぐため、常時公開されることはほとんどありません。実際に観るなら、企画展や特別展のタイミングを狙うのが基本になります。

《夜色楼台図》は個人の所蔵で、展覧会に出品される機会は限られています。《十便十宜図》も、公開の機会は多くありません。一方で、京都国立博物館をはじめとする各地の博物館・美術館が蕪村作品を所蔵しており、大阪・池田の逸翁美術館のように、関西にも蕪村を収蔵する館があります。関西在住であれば、企画展の情報をこまめに追っておく価値は十分にあります。

そして、こうした「いつでも観られるわけではない」作品こそ、出会いのタイミングが命です。展示情報を見つけたときにすぐ動けるよう、観たい作品を先に決めておくことをおすすめします。

「観たい」を先に決めておくと、機会を逃さない

蕪村のように公開機会が限られる作品は、知らないうちに会期が終わっていた、ということが起こりがちです。逆に「この作品を観たい」と決めてさえいれば、展示の告知に反応できます。そして実際に観たら、その日付とともに記録しておく。次に同じ画家の別の作品に出会ったとき、前に観た一枚が比較の基準になってくれます。

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