1400年前の「考えている姿」の前に立つ
右足をそっと左の膝にのせ、右手の指先を、頬に触れるか触れないかのところに添えている。目は半ば閉じられ、口元にはかすかな微笑み。京都・太秦の広隆寺に伝わる国宝《弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)》は、日本の仏像のなかでも、とりわけ静かな像です。
筆者は美術検定の勉強をしながら、日本美術と歴史を学び直しています。もともと歴史が好きで、「その像が、どんな時代の、どんな考えのなかから生まれたのか」を知るのが何より面白い。この像がつくられたのは飛鳥時代、7世紀のことです。日本に仏教が伝わって、まだ100年ほどしか経っていない頃の作品が、いま目の前で観られる——それだけでも、かなりすごいことだと思います。この記事では、その見どころを、実物を観に行く前の予習としてまとめます。
《弥勒菩薩半跏思惟像》の基本情報
- 制作:飛鳥時代(7世紀)
- ほとけの種類:菩薩(弥勒菩薩)
- 姿:半跏思惟(はんかしゆい)像、像高およそ123cm
- 技法・材質:木造(一木造)、赤松材
- 指定・所蔵:国宝/広隆寺(京都市右京区太秦)
広隆寺は、京都で最も古い寺のひとつとされ、渡来系の有力氏族・秦氏(はたうじ)ゆかりの寺として知られます。『日本書紀』には、推古天皇11年(603年)に秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から仏像を賜り、それを本尊として寺を建てたという記事があり、この像をその仏像とみる説があります。ただし断定はされておらず、諸説あるところです。
なお広隆寺には、半跏思惟の姿をした国宝の像がもう一体あります。泣いているような表情から「泣き弥勒」と呼ばれる像で、本記事で扱うのは、宝冠をいただいた方(通称「宝冠弥勒」)です。
見どころ
1. 半跏思惟——「考えている」という状態を彫る
この像の姿勢には名前があります。片足を下ろし、もう片方の足をその膝にのせるのが「半跏」、頬に指を添えて思索にふけるのが「思惟」。あわせて半跏思惟像と呼びます。
あらためて考えると、これはかなり大胆な造形です。何かを持っているわけでも、何かをしているわけでもない。ただ「考えている」という、目に見えない状態そのものを、木を彫ることで表そうとしている。ポーズだけで内面を示すという発想が、すでに1400年前に完成していたことに驚かされます。
実際に前に立つと、指と頬のあいだのわずかな隙間や、そっと傾いた首の角度が効いていることが分かります。触れてしまえば「頬杖」になって力が入り、離しすぎれば意味が消える。あの絶妙な距離感が、静かに考え続けている時間を生んでいます。
2. アルカイックスマイル——微笑んでいるように見える口元
もうひとつの見どころが、口元にたたえられたかすかな微笑みです。これは「アルカイックスマイル(古拙の微笑)」と呼ばれます。もともとは古代ギリシャの初期彫刻に見られる表情を指す言葉で、それを飛鳥時代の仏像の表情にも当てはめて使うようになったものです。法隆寺の釈迦三尊像など、飛鳥彫刻に広く見られる特徴でもあります。
面白いのは、はっきり笑っているわけではないことです。近づいて口元だけを見ると、ほとんど無表情に近い。それなのに、少し引いて全体を眺めると、たしかに微笑んで見える。人の顔は、口の端がほんの数ミリ上がるだけで印象が一変します。その数ミリを木の上で成立させているわけで、彫った人の技量にはただ驚くほかありません。
3. 赤松の一木造——素材が語る、渡来の気配
技法としては、一本の木から彫り出す「一木造」です。ただし材質に、この像ならではの特徴があります。日本の古代の木彫仏は、クスノキが使われることが多いのに対し、この像は赤松(アカマツ)でつくられています。
赤松は朝鮮半島の古代の仏像に例が多い材で、このことから、像が半島でつくられて日本へもたらされたとする説や、渡来系の工人が日本でつくったとする説が唱えられてきました。決着はついていませんが、寺そのものが渡来系氏族ゆかりであることを考えると、想像がふくらみます。材質という、一見そっけない情報が、当時の人やものの行き来を静かに物語っている。こういうところが、美術史を学ぶ面白さだと感じます。
弥勒菩薩とは何者か——遠い未来に現れる仏
弥勒菩薩は、釈迦が亡くなってから56億7千万年後にこの世に現れ、人々を救うとされる菩薩です。つまり「まだ仏になっていない、未来の仏」。いまは天上で修行しながら、その遠い日に自分がどうやって人々を救うかを考え続けている、とされます。
ここで、あの姿の意味がつながります。頬に指を添えて考え込んでいるのは、ポーズのための飾りではなく、弥勒菩薩がまさにいましていることそのものだったのです。装飾の多い姿(宝冠をいただいている)も、菩薩というグループの特徴どおりです。背景を知ってから観ると、造形のすべてに理由があったことが分かってきます。
時代背景——飛鳥時代、日本美術の「はじまり」
この像が生まれた飛鳥時代は、仏教が日本に伝わって間もない頃にあたります。大陸や朝鮮半島から新しい思想と技術がなだれ込み、それを受け止めながら、日本で最初の本格的な仏教美術が形になっていった時代です。
のちの天平の仏像がふっくらと写実的になり、鎌倉の仏像が筋肉や動きを強調していくのに比べると、飛鳥の仏像はもっと細く、正面性が強く、どこか硬質です。けれどその硬さこそが、この時代の魅力でもあります。日本美術の「はじまり」の姿を、実物で確かめられる機会は決して多くありません。
削ったら、戻せない
筆者は毎日、鉛筆画を描いています。まだ基礎の段階で、お手本を見ながらそっくりに描く練習をしているのですが、そこで身にしみているのが、最初の下書きの重要さです。人の顔を描くとき、目の位置が少しずれたり、口が大きくなりすぎたりすると、あとからいくら描き込んでも挽回できません。だから定規で測ってでも、最初に正確な形を取るようにしています。
木彫は、それがさらに厳しい世界です。鉛筆なら消しゴムで戻せますが、彫刻は一度削った分を戻すことができません。しかも一木造ですから、材料の継ぎ足しもききにくい。あの口元の数ミリも、頬と指のわずかな隙間も、すべて「戻せない」という条件のなかで決められています。そう思って像を眺めると、静かな佇まいの裏側に、張りつめた緊張があったことが想像できて、見え方が少し変わります。
美術史・美術検定での位置づけ
この像は、飛鳥時代の彫刻を代表する作品として、日本美術史の最重要作のひとつに数えられます。1951年に国宝の指定が行われた際、彫刻の分野で最初に挙げられた像としても知られています。美術検定の学習でも、「半跏思惟」「アルカイックスマイル」「飛鳥時代」「一木造」といった用語とセットで押さえておきたい一体です。
あわせて覚えておきたいのが、奈良・中宮寺の菩薩半跏思惟像です。こちらは材にクスノキが使われ、より丸みのある柔らかな造形で、広隆寺の像としばしば並べて語られます。二体を比べると、同じ半跏思惟でも表現の幅がまったく違うことが分かります。
なお、この像については、ドイツの哲学者が世界最高の彫刻だと絶賛した、という逸話がよく紹介されます。ただしこの話は原典の確認が難しいとも指摘されており、事実として断定はしないほうがよさそうです。逸話に頼らなくても、実物の前に立てば十分に伝わってくる像だと思います。
実物はどこで観られる?
《弥勒菩薩半跏思惟像》は、京都市右京区の広隆寺、境内にある霊宝殿で拝観できます。太秦は京都の中心部から少し西寄りですが、嵐山にもほど近く、京都観光と組み合わせて足を延ばしやすい場所です。
霊宝殿には、この像のほかにも平安期の仏像が数多く安置されており、静かな堂内でまとめて向き合えます。混雑した特別展とは違い、時間をかけて一体ずつ観られるのは、寺で拝観することの大きな利点です。拝観時間や休観日は変わることがあるので、出かける前に公式の情報を確認しておくと安心です。
関西にお住まいの方であれば、日帰りで気軽に会いに行ける距離だと思います。教科書の図版で見慣れているあの像が、実際にはどれくらいの大きさで、どんな空気のなかに座っているのか。それを確かめるだけでも、行く価値は十分にあります。
観た記録を残すと、時代の違いが見えてくる
仏像は、一体だけを観てもその特徴がつかみにくいものです。けれど「飛鳥のこの像を観た」「天平のあの像を観た」と記録を残していくと、あとから並べたときに、時代ごとの顔つきの違いがはっきりと立ち上がってきます。実物を観た記憶に日付がついていると、学びの手ざわりが変わります。
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