「有名な絵師は知っているけれど、つながらない」
北斎の波、写楽の役者、歌麿の美人。名前と代表作はなんとなく知っているけれど、それぞれがどういう関係で、浮世絵全体のなかでどこに位置するのかと聞かれると、うまく答えられない——以前の筆者はまさにそうでした。
筆者は美術検定の勉強をしながら、日本美術を学び直しています。もともと本を読むのが好きで美術の本も何冊か読んだのですが、断片的な知識ばかりが増えて、なかなか「地図」になりませんでした。ところが浮世絵については、「これは分業でつくる版画だ」という一点と、代表的な絵師を数人おさえるだけで、全体像がぐっと見えるようになります。この記事では、浮世絵の見方と代表絵師を、実物を観に行く前の予習としてまとめます。
浮世絵とは——「浮世」を描いた、庶民の絵
浮世絵は、江戸時代に花開いた絵画で、「浮世」=当世、つまり今この世の暮らしや流行を描いたものです。美しい女性、人気の歌舞伎役者、旅先の名所——庶民が「見たい」と思うものが、そのまま題材になりました。高尚な理想ではなく、身近な楽しみを描いたところが、浮世絵の出発点です。
そして浮世絵には、肉筆で描かれたものと、木版で刷られたものがあります。私たちがよく目にするのは、後者の版画(錦絵)のほうです。ここが、浮世絵を理解する最大のポイントになります。
見方のポイント1——浮世絵は「チーム」でつくられる
版画の浮世絵は、絵師ひとりの作品ではありません。次の4者による分業でつくられます。
- 版元(はんもと):企画・出版する人。今でいうプロデューサー兼発行元
- 絵師(えし):下絵を描く人。北斎や広重は、この絵師にあたる
- 彫師(ほりし):下絵をもとに版木を彫る職人
- 摺師(すりし):版木に色をのせ、紙に摺る職人
髪の毛一本一本を彫り分ける彫師の技、色をぴたりと重ねる摺師の腕。あの一枚は、絵師の名前で呼ばれていても、実は複数の職人の技術の結晶なのです。そして版画ですから、同じ絵が何枚も摺れます。つまり浮世絵は、庶民が手の届く値段で買えた「大量生産のメディア」でもありました。一点物の絵画とはまったく違う成り立ちを知ると、見え方が変わります。
見方のポイント2——ジャンルで見分ける
浮世絵は、描かれる題材でいくつかのジャンルに分かれます。これを知っておくと、一枚を見たときに「これは何を描いた絵か」がすぐ分かります。
- 美人画:当時の美しい女性を描く。歌麿が代表格
- 役者絵:歌舞伎役者を描く。写楽が有名
- 風景画(名所絵):各地の名所や旅の風景。北斎・広重が二大巨頭
- 武者絵・戯画:武将や物語、ユーモラスな絵。国芳が得意とした
筆者が浮世絵を面白いと感じるのは、こうした「見方の枠組み」が、そのまま美術検定の知識ともつながっているところです。枠組みが頭に入ると、知識がばらばらの点ではなく、一本の線としてつながっていきます。
おさえておきたい代表絵師
菱川師宣——浮世絵の祖
浮世絵の始まりを語るうえで欠かせないのが菱川師宣(ひしかわもろのぶ)です。《見返り美人図》で知られ、それまで本の挿絵にすぎなかった絵を、一枚で鑑賞する独立した作品へと押し上げました。「浮世絵といえば師宣」と呼ばれた、この分野の開拓者です。
喜多川歌麿——美人画の頂点
喜多川歌麿(きたがわうたまろ)は、女性の上半身を大きくとらえる「大首絵(おおくびえ)」で、美人画を芸術の域へ高めました。表情やしぐさにその人の内面までにじませる描写は、今見ても驚くほど繊細です。
東洲斎写楽——謎の役者絵師
東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)は、わずか10か月ほどの活動で忽然と姿を消した、正体不明の絵師です。役者の個性を誇張してとらえた大首絵は、当時は好悪が分かれたものの、今では役者絵の傑作として高く評価されています。ちなみに筆者は、この写楽の役者絵をX(旧Twitter)のアイコンに使っているほど気に入っています。
葛飾北斎——森羅万象を描いた画狂
葛飾北斎(かつしかほくさい)は、《富嶽三十六景》の《神奈川沖浪裏》で世界的に知られます。生涯を通じて絵に打ち込み、風景から妖怪まであらゆるものを描いた、まさに画業の鬼です。
歌川広重——旅情の名所絵
歌川広重(うたがわひろしげ)は、《東海道五十三次》で、旅の情景や季節の移ろいを叙情豊かに描きました。北斎の力強い風景に対し、広重はしっとりとした詩情が持ち味です。
歌川国芳——奇想とユーモアの絵師
歌川国芳(うたがわくによし)は、勇壮な武者絵から、猫を擬人化した愛らしい戯画まで、幅広く手がけた発想力の人です。既存の枠にとらわれない自由さが、今も人気を集めています。
世界を変えた、庶民の版画
面白いのは、この「庶民の娯楽」が、海を渡って西洋美術を揺さぶったことです。幕末以降、浮世絵はヨーロッパに伝わり、大胆な構図や平面的な色づかいが、ゴッホをはじめとする画家たちに衝撃を与えました。この浮世絵ブームは「ジャポニスム」と呼ばれます。身近な楽しみとして刷られた一枚が、世界の絵画の歴史を動かした——この事実は、知っておくと痛快です。
美術史・美術検定での位置づけ
浮世絵は、江戸時代の日本美術を代表する分野として、美術検定でも頻出です。「錦絵」「大首絵」「東海道五十三次」「ジャポニスム」といった用語は、絵師の名前とセットで押さえておきたいところ。個々の絵師を単独で覚えるより、「祖は師宣、美人画は歌麿、役者絵は写楽、風景は北斎と広重、奇想は国芳」というふうに、地図の上に置いていくと、記憶に定着しやすくなります。
実物はどこで観られる?
浮世絵は、東京国立博物館をはじめ、各地の美術館・博物館が数多く所蔵しています。太田記念美術館(東京)のように浮世絵を専門とする館もあり、絵師やテーマごとの企画展がひんぱんに開かれています。
ひとつ注意したいのは、浮世絵は紙に摺られた作品で、光に弱いということです。退色を防ぐため、常設で出しっぱなしにはされず、企画展などで期間を区切って公開されるのが一般的です。だからこそ、観たい絵師の展覧会は、開催情報をこまめに追う価値があります。実物は、印刷では分からない紙の質感や、摺りの微妙な色の重なりまで見えて、驚くほど繊細です。
「観たい絵師」を決めておくと、機会を逃さない
浮世絵は企画展での公開が中心なので、「この絵師を観たい」と先に決めておくと、展覧会の告知に反応できます。そして実際に観たら、その一枚を記録しておく。次に同じ絵師の別の作品に出会ったとき、前に観た一枚が比べる基準になってくれます。
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