《夏秋草図屏風》——雨と風に揺れる、江戸琳派の叙情
銀色に沈む画面のなかで、夏の草が夕立に打たれてうなだれ、秋の草が野分(のわき)の風に静かに揺れている。酒井抱一(さかい ほういつ)の《夏秋草図屏風(なつあきくさずびょうぶ)》は、季節のうつろいと、自然のはかなさを、しみじみと感じさせる名品です。華やかな金地ではなく、あえて銀地を選んだところに、この絵ならではの繊細な叙情があります。
筆者は美術を学び直しているのですが、日本美術を観ていて何より面白いのが、画家から画家へと受け継がれる「系譜」を知ることです。この抱一もまた、先人を深く慕った画家でした。この記事では、《夏秋草図屏風》の魅力を、琳派の系譜もあわせて、実物を観る前の予習としてまとめます。
酒井抱一と《夏秋草図屏風》の基本情報
- 作者:酒井抱一(1761〜1829、江戸時代後期)。江戸で琳派を復興した絵師
- 形式:二曲一双(二つ折りの屏風が左右一対)
- 技法:銀地に、繊細な草花を描く
- 指定・所蔵:重要文化財/東京国立博物館
- 主題:夕立にうたれる夏草と、秋風に揺れる秋草
抱一は、じつは姫路藩の大名家に生まれた、殿さまの一族でした。のちに出家し、絵の道へ。とりわけ尾形光琳の作品を深く愛し、その画風を江戸の地で受け継いで、「江戸琳派」と呼ばれる流れを築きました。
見どころ
1. 夏草の雨、秋草の風
右の屏風には、夕立にたたかれ、しなだれる夏の草花。左の屏風には、秋の野分に吹かれて揺れる草花。雨と風、夏と秋。二つの屏風が、季節の移ろいと、自然の中に流れる時間を、対にして描き出しています。派手な出来事は何も起きていないのに、そこには、はかなくも美しい”時の移ろい”が、静かに満ちています。
2. 銀地の静けさと、繊細な草花
この屏風の地は、金ではなく銀です。銀は、金ほど華やかではなく、しっとりと落ち着いた光を放ちます(時とともに渋く変化する趣もあります)。その静かな地の上に、抱一は草花の一本一本を、繊細で叙情的な線と色で描きました。豪華さで圧倒するのではなく、しみじみとした情感で心に沁みる——そこが江戸琳派、そして抱一らしさです。
3. 風神雷神の“裏”に描かれた
じつはこの《夏秋草図屏風》には、驚くべき背景があります。もともとこの絵は、尾形光琳が描いた《風神雷神図屏風》の、その裏面に描かれたものなのです。表の雷神(=雷雨)の裏に、雨にうたれる夏草を。風神(=風)の裏に、風に揺れる秋草を。表の神々と、裏の草花が、みごとに呼応しています。今は保存のため表裏が分けられていますが、この粋な仕掛けを知ると、絵の見え方がまるで変わります。
光琳へのオマージュ——江戸琳派の系譜
抱一が風神雷神図の裏に草花を描いたのは、その屏風を描いた尾形光琳への、深い敬愛の表れでした。琳派は、俵屋宗達を慕った光琳、その光琳を慕った抱一、というように、直接の師弟ではなく、残された作品を通じて先人を慕う「私淑(ししゅく)」でつながっていきます。宗達から光琳へ、光琳から抱一へ。時代を超えて受け継がれた美意識が、《夏秋草図屏風》には静かに息づいています。
大名から画家へ——抱一の生涯
大名家に生まれながら、抱一は家督を継ぐ立場ではなく、やがて出家して芸術の世界に生きました。俳諧や書もよくした風流人で、光琳の作品を集めて図録(『光琳百図』)を編むなど、光琳を世に広めることにも力を注ぎました。俳諧をたしなみ、江戸の粋人たちと交わった抱一の美意識は、洒脱でいて、どこか品がありました。恵まれた環境と、自由な生き方。その両方が、抱一の洗練された叙情を育んだのでしょう。
美術史・美術検定での位置づけ
酒井抱一は、江戸琳派を確立した絵師として、美術検定でも日本美術史の重要人物です。「琳派」「私淑」「江戸琳派」といったキーワードは、俵屋宗達・尾形光琳とあわせて押さえておきたいところ。宗達・光琳・抱一という系譜で覚えると、琳派の流れがすっきり見えてきます。
実物はどこで観られる?
《夏秋草図屏風》は、東京国立博物館が所蔵する重要文化財です。貴重な作品のため、公開は展示替えのタイミングなどに限られます。観に行く前に、東京国立博物館の展示情報を確認しておくと確実です。銀地の落ち着いた輝きと、繊細な草花の情感は、実物でこそ深く味わえます。
観た記録を残すと、鑑賞はもっと深くなる
日本美術の名作は、実物の前に立つと、地の質感や、草花の繊細な描写が、写真とはまるで違って迫ってきます。そうして心が動いた瞬間を記録に残しておくと、後から驚くほど鮮明に思い出せます。「いつ・どこで・どの作品を、どう感じたか」を残しておくと、学びも思い出も積み重なっていきます。
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