鑑真和上坐像——海を渡った、盲目の高僧
目を静かに閉じ、背筋を伸ばして端坐する一人の老僧。奈良・唐招提寺(とうしょうだいじ)の国宝《鑑真和上坐像(がんじん わじょう ざぞう)》は、日本でもっとも古い肖像彫刻の一つとされ、観る者に深い静けさと感動を与えます。この穏やかな姿の背後には、想像を絶する苦難の物語がありました。
筆者は美術検定の勉強をしながら、日本史と文学を学び直しています。歴史上の人物の生き方を知ってから、その像や絵に向き合うと、作品の重みがまるで変わってきます。鑑真は、まさにそんな人物です。この記事では、鑑真和上坐像の魅力を、その生涯もあわせて、実物を観る前の予習としてまとめます。
鑑真和上坐像の基本情報
- モデル:鑑真(がんじん、688〜763)。唐(中国)から来日した高僧
- 制作:奈良時代(8世紀)、鑑真の晩年から死の前後にかけて
- 技法:脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)
- 指定・所蔵:国宝/唐招提寺(奈良)
この像は、鑑真が亡くなる前後に、その姿を慕う弟子たちによって作られたと伝わります。実在の人物を写した肖像彫刻としては日本最古級で、故人への深い敬愛が込められた、特別な一体です。
鑑真の物語——六度目の渡海
鑑真は、日本に正式な仏教の戒律(僧が守るべき規律)を伝えるため、はるばる唐から招かれました。しかし、その道のりは想像を絶するものでした。嵐や難破、妨害により、渡航は五度も失敗。度重なる苦難のなかで、鑑真はついに視力を失ってしまいます。それでも彼はあきらめず、六度目の航海で、ついに日本の地を踏みました。753年のことです。失明してなお、使命を果たすために海を渡った——その不屈の意志に、胸を打たれます。
像の見どころ
1. 目を閉じた、静かな姿
この像の最大の見どころは、そのおだやかな表情です。閉じられた両目は、視力を失った鑑真の姿を表しているといわれます。けれど、そこに悲しみや苦しみは感じられません。むしろ、すべてを受け入れ、深い境地に至った者の、静かな安らぎが漂っています。目を閉じているからこそ伝わる、内面の豊かさ。じっと見ていると、こちらの心まで鎮まっていくようです。
2. 脱活乾漆——人を写した最古級の像
この像は、粘土の原型に麻布を漆で貼り重ね、内側の粘土を抜き取る「脱活乾漆」という技法で作られています。この技法は、細やかで柔らかな表現を可能にし、鑑真の顔のしわや、穏やかな肉づきまでを、生き生きと写しとっています。実在の人物の”その人らしさ”を、これほど早い時代に、これほど見事にとらえた——その事実にも驚かされます。
3. 弟子たちの敬慕
この像に流れる、あたたかく敬虔な空気は、作った人々の思いそのものです。命がけで日本にやってきて、多くを与えてくれた師・鑑真。その姿を、少しでもとどめておきたい——弟子たちのそんな敬愛が、像のすみずみに宿っています。美術作品でありながら、人と人との深い結びつきの証でもあるのです。
文学に描かれた鑑真——『天平の甍』
鑑真の渡日の物語は、文学にも描かれてきました。作家・井上靖の小説『天平の甍(いらか)』は、鑑真を日本へ招こうとした僧たちの苦難と、鑑真の渡海を、壮大に描いた名作です。歴史の教科書の数行の裏に、これほどのドラマがあったのか——そう気づかせてくれます。文学好きの筆者にとって、こうした美術・歴史・文学が一つにつながる瞬間は、学び直しの大きな喜びです。像の前に立つとき、その静かな姿の奥に、はるかな渡海の物語までもが立ちのぼってくる——それこそが、鑑真和上坐像を観る醍醐味です。
美術史・美術検定での位置づけ
鑑真和上坐像は、天平時代の肖像彫刻を代表する作品として、美術検定でも日本美術史の重要作品です。「脱活乾漆」「唐招提寺」「日本最古級の肖像彫刻」といったキーワードは、あわせて押さえておきたいところ。仏そのものではなく、実在の人間を写した像として、日本彫刻史の中でも特別な位置を占めています。
実物はどこで観られる?
鑑真和上坐像は、奈良の唐招提寺が所蔵する国宝です。たいへん貴重な像のため、通常は非公開で、鑑真の命日にちなむ行事(開山忌)の前後など、年に数日だけ特別に公開されるのが恒例です。観に行くには、公開の時期を事前に唐招提寺の情報で確認しておく必要があります。それだけに、実物に会えたときの感動はひとしおです。
観た記録を残すと、記憶はもっと鮮明になる
彫刻の名品は、実物の前に立つと、その表情や、その場の張りつめた空気が、写真とはまるで違って迫ってきます。そうして心が動いた瞬間を記録に残しておくと、後から驚くほど鮮明に思い出せます。「いつ・どこで・何を観て、どう感じたか」を残しておくと、学びも思い出も積み重なっていきます。
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