フェルメールは「光の画家」——でも、何が特別なのか
ヨハネス・フェルメールは、しばしば「光の魔術師」「光の画家」と呼ばれます。教科書でも展覧会でも、その静かな室内に差し込む光の美しさが繰り返し語られます。けれど、「では、その光の何がそんなに特別なのか」と聞かれると、うまく答えられない——そんな方も多いのではないでしょうか。
筆者は毎日、趣味で鉛筆画を描いています。あわせて美術検定の勉強をしながら、本で西洋・日本の美術史を学び直しているところです。自分で「光と影」を鉛筆で描くようになってから、名画の見方は確実に変わりました。この記事では、フェルメールの光がなぜ美しいのかを、絵を描く者の視点から、実物を観に行く前の予習としてやさしく整理してみます。
フェルメールとはどんな画家か(基本情報)
まずは事実を押さえておきましょう。
- 生没年:1632〜1675年(オランダ・デルフトに生涯を過ごす)
- 時代:17世紀オランダ、いわゆる「オランダ黄金時代」
- ジャンル:主に室内の風俗画(日常の一場面を描いた絵)
- 現存作品:わずか30数点とされる寡作の画家
- 代表作:《真珠の耳飾りの少女》《牛乳を注ぐ女》《デルフトの眺望》など
フェルメールの絵の多くは、部屋の左側にある窓から光が差し込む構図をとっています。派手な物語や英雄ではなく、手紙を読む女性、牛乳を注ぐ女中といった「何でもない日常」を描く。にもかかわらず、その一室がなぜか神々しく見える——その理由の大半は、彼の「光の扱い」にあります。
鉛筆画を描く視点で観る、フェルメールの「光と影」
絵を自分で描いてみると、「光と影を制する人が、立体を制する」と痛感します。フェルメールの光を、鉛筆画で日々ぶつかる3つのポイントから見てみます。
1. 光には「方向」がある——一貫した窓の光
鉛筆画で人の顔や物を描くとき、最初に決めるのが「光がどちらから当たっているか」です。光の方向を決めたら、その向きに沿って明るい面と暗い面をつくっていく。ここを無視して、方向を考えずにのっぺり陰影をつけると、とたんに立体感が崩れて平べったくなってしまいます。
フェルメールの絵は、この「光の方向」が驚くほど一貫しています。多くの作品で、光は左の窓から斜めに差し込み、人物や机、壁を同じ角度で照らしていく。だから画面のどこを見ても矛盾がなく、部屋全体に本物の空気が流れているように感じられます。実物の前に立ったら、「光がどこから来て、どこに影を落としているか」をたどってみてください。画家がどれだけ緻密に光を設計していたかが見えてきます。
2. 影は「ただの黒」ではない——影に潜む色
鉛筆画で深い黒を出そうとするとき、一本の鉛筆でゴリゴリ塗りつぶしても、きれいな黒にはなりません。硬い鉛筆から柔らかい鉛筆へと何層も塗り重ねていくと、単調でない、奥行きのある黒が生まれます。「影=黒一色」ではないのだ、というのは、描き手になって初めて体で分かったことでした。
フェルメールの影も、まさに「ただの黒」ではありません。彼は影の部分にも微妙な色を含ませ、そこにラピスラズリという鉱石から作る高価な青色顔料「ウルトラマリン」まで使ったと言われます。影が黒く沈むのではなく、青や茶をふくんで静かに息づいている。だからこそ、光の当たる部分がいっそう澄んで見えるのです。図版では黒くつぶれて見える暗がりも、実物ではかすかな色をたたえていることがあります。
3. 光を「粒」で置く——点のようなハイライト
球体や、つやのあるものを描くとき、鉛筆画でいちばん神経を使うのが、いちばん明るく光る「ハイライト(光の点)」をどこにどう置くか、です。この一点がびたりと決まると、平面だったものが急に立体になり、素材の質感まで立ち上がってきます。
フェルメールは、このハイライトを「小さな光の粒」を点々と置くように描きました。《牛乳を注ぐ女》のパンの表面や籠には、絵の具が点のように盛り上げて置かれ、そこにパンのざらつきや水分の照りが宿っています。《真珠の耳飾りの少女》の真珠も、たった一点のハイライトと下から回り込むやわらかな反射光でできあがっている。こうした光の粒の置き方は、レンズを使った当時の光学装置「カメラ・オブスクラ」の影響ではないかとも言われますが、これには諸説あり、断定はできません。ただ確かなのは、実物では絵の具の盛り上がりや光の置き方そのものを、間近で観察できるということです。
美術史・美術検定での位置づけ
フェルメールが生きた17世紀のオランダは、市民が絵を買い、自分の家に飾った時代でした。教会や王侯貴族のための壮大な宗教画・歴史画ではなく、身近な暮らしを描いた風俗画や室内画が花開いた——それが「オランダ黄金時代」の絵画です。美術検定の学習でも、フェルメールやレンブラントはこの時代の中心人物として繰り返し登場します。
学び直しをしていて面白いのは、「いつの、どんな社会でこの絵が生まれたのか」が分かると、作品の見え方が一段深くなることです。市民が主役になった時代だからこそ、フェルメールは「何でもない日常」に光を当てた。その背景を知ってから実物の前に立つと、静かな室内画が急に雄弁に語りかけてきます。
2026年、フェルメールの実物を観られる貴重な機会
フェルメールは現存作品がごくわずかで、しかもその大半が海外の美術館にあります。日本で実物に出会える機会は、そう多くありません。
そんななか、2026年8月21日から9月27日まで、大阪中之島美術館で《真珠の耳飾りの少女》が公開されます。日本で観られるのは14年ぶりです。この記事で見てきた「光の方向」「影に潜む色」「光の粒」を頭に入れておくと、実物の前での解像度がまるで変わってくるはずです。予習をしてから会場に立つ——それだけで、鑑賞の楽しみは何倍にもふくらみます。
観た感動は、記録に残しておきたい
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