溶ける時計——夢を描いた《記憶の固執》
荒涼とした風景のなかで、金属でできているはずの時計が、まるでチーズのように、ぐにゃりと溶けて垂れ下がっている。サルバドール・ダリの《記憶の固執》は、一度見たら忘れられない、奇妙で不思議な絵です。理屈では説明できないのに、なぜか強く心に残る。この絵は、私たちが眠っているときに見る「夢」の世界を、そのまま描き出したような作品なのです。
筆者は美術を学び直しているのですが、いちばん面白いと感じるのは、理性ではうまく割り切れないのに、なぜか惹きつけられる作品です。芸術には、現実の向こう側へ連れていってくれる力がある——ダリの世界は、まさにそれを体感させてくれます。この記事では、《記憶の固執》の魅力を、実物を観る前の予習としてまとめます。
ダリと《記憶の固執》の基本情報
- 作者:サルバドール・ダリ(1904〜1989、スペイン)
- 制作:1931年
- 位置づけ:シュルレアリスム(超現実主義)を代表する一枚
- 所蔵:ニューヨーク近代美術館(MoMA)
ダリは、奇抜な言動やユニークな口ひげでも有名な、20世紀を代表する画家です。夢や無意識といった、目に見えない心の世界を、驚くほど精密な筆づかいで描き出しました。
見どころ
1. 溶ける時計——常識がとろける
この絵の主役は、なんといっても溶ける時計です。時間を正確に刻むはずの、硬い金属の時計が、やわらかく形を失って垂れている。「硬いものは硬い」「時間はきっちり進む」——そんな私たちの常識が、この一点でぐにゃりと崩されます。時間や記憶とは、じつはこんなにあいまいで、とらえどころのないものかもしれない。時計の柔らかさが、そんな問いを投げかけてきます。ちなみにダリは、溶けたカマンベールチーズを見て、この柔らかい時計を思いついたと語っています。日常のふとした光景が、あの奇想天外なイメージの入り口になったというのも、面白いところです。
2. 精密なのに、あり得ない——夢のリアリティ
面白いのは、これほど非現実的な光景が、とても精密に、写実的に描かれていることです。細部までくっきりと描かれているからこそ、あり得ないはずの場面が、まるで本当にそこにあるかのように迫ってきます。夢のなかの出来事が、妙にリアルに感じられるのと同じ。この「リアルな非現実」こそ、ダリの真骨頂です。
3. 荒涼とした風景と、謎の生き物
背景には、ダリの故郷スペインの海岸を思わせる、静かで荒涼とした風景が広がっています。そして画面の中央には、まつげの生えた、生き物とも顔ともつかない奇妙な形が横たわっています。何を表しているのか、はっきりとは分かりません。けれど、その”分からなさ”が、絵全体を夢のように謎めいたものにしているのです。
シュルレアリスムとは——無意識と夢の芸術
ダリが属した「シュルレアリスム(超現実主義)」は、20世紀に生まれた芸術の運動です。人間の理性やモラルの統制を外し、夢や無意識の奥にひそむイメージを、そのまま表現しようとしました。当時広まっていた、心の奥の”無意識”をめぐる考え方にも影響を受けています。目に見える現実の”向こう側”にこそ、より深い真実がある——そう信じた芸術だったのです。
「わからない」を面白がる——理性を超えて
ダリの絵は、「意味が分からない」と敬遠されることもあります。けれど、意味を急いで探さなくてもいいのです。まずは、その不思議な光景に身をゆだね、心がざわめく感覚を味わう。「なぜ自分はこれに惹かれるのだろう」と考えること自体が、現代アートの楽しみ方です。かつてデュシャンが「芸術とは何か」を問い直したように、ダリは「現実とは何か」を、夢のイメージで揺さぶってきます。理性の外へ連れ出してくれる——それが、ダリの絵の醍醐味です。
美術史・美術検定での位置づけ
ダリは、シュルレアリスムを代表する画家として、美術検定でも20世紀の西洋美術に登場します。「シュルレアリスム」「無意識・夢」といったキーワードとあわせて、《記憶の固執》を押さえておくとよいでしょう。20世紀の美術が、目に見えるものから、心の奥の世界へと広がっていった——その流れを象徴する一枚です。
実物を観るには
《記憶の固執》はニューヨーク近代美術館(MoMA)にあり、基本的には現地で観るものです。日本でもこれまでダリ展が開かれ、多くの作品に出会う機会がありました。まずは画集や展覧会で予習し、いつかあの溶ける時計の前に立つ——そんな目標にしておくのも素敵です。
学びの記録を残すと、次につながる
実物を観るのはもちろん、「この絵について何を感じたか」を記録しておくことも、立派な美術体験の蓄積です。観た作品や、これから観たい作品を書き留めておくと、学びが一本の線でつながっていきます。
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